小浜八幡神社

プライベート的なビーチは、「丹ケ浦」と呼ばれ、お丹という美しい娘が雨の日も風の日も休むことなく浜辺で働いていたので、誰がいうこともなくこの浦を「丹ケ浦」と呼ぶようになった。昔は船から浜まで鰯籠を手渡しで陸上げしていた。

太東岬と相対して大原湾を形成する八幡岬と丹ヶ浦は、古来、文人墨客が多く歴訪し、太平洋を一望する景観の雄大さと、古城小浜城址の歴史は昔から漢文、和歌、俳句に書き継がれ、読み継がれて今日に至っている。

”小浜八幡さま 紅いもんが好きだ 染めてあげましょ 花染めに”は「はだか祭り」の代表的な祭り唄として知られています。本岬は形が帽子や鷲に似ているので帽山または鷲崎と呼ばれることもある。戦国時代には小浜城があった。房総治乱記によると、戦国時代にここに小浜城があり、城主は槍田美濃守であった。1588年北条氏と戦った時、その虚に乗じて勝浦城主の正木左近大夫は小浜城を襲い、これを奪った。

房州の里見氏は援軍を送って小浜城の奪回を図ったが、攻め落とすことはできなかった。無念に思っていた美濃守は同年に夜陰に乗じて攻め込み、奪還に成功した。しかし、1589年本多忠勝が大多喜城主になったころ、小浜城は本多氏に攻略されその姿を消した。

江戸時代より数多くの文人墨客が訪れ。儒者の安積良斉、作家の江見水陰、山本有三、歌人の佐々木信綱、矢代東村、画家の黒田清輝、竹久夢二などの多彩な文化人に愛され、若山牧水や鈴木信太朗などの諸家は好んで宿泊し景観を愛でながらこの地の自然や風景を活写し創作にふけった。


アクセス

住所 〒298-0004 千葉県いすみ市大原10439 小浜八幡神社
連絡先
WEB http://www.taito-todai.jp/

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